天牛(紙切り虫)

私が関心のある、気に入った、「新聞」・「メルマガ」等のニュースをまとめて紹介します。「コメント」は歓迎ですが、「公開」の前に、判断をさせていただきます。

カテゴリ: 中国帰国者関係

ハーバー・ビジネス・オンライン(熊野雅恵)

2020.07.28

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                           Kプロジェクト

 
フィリピン残留日本人と中国残留孤児の現在の姿を描くドキュメンタリー
『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』が、ポレポレ東中野で公開されています(8月上旬から全国の劇場で順次公開)。  「私を日本人と認めて欲しい」。そう訴える残留邦人がフィリピン全土に今もおよそ1000人存在している。

 

彼らは、太平洋戦争で激戦地となったフィリピンで、戦前から移住していた日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子どもたち。  日本の敗戦を境に、日本人の父親と生き別れ、反日感情の激しいフィリピン社会で身を隠すように生きてきた。父との血縁を認められたい、そして日本国籍を得たいと願う人たちに、日本政府は支援の手を差し伸べずにいる。平均年齢80歳を超えた彼らに残された時間は少ない。  「私は日本人。でも言葉がわからないの!」。

 

一方の中国残留孤児は、1972年の日中国交回復後、両国政府による帰国支援事業により日本への帰国定住を果たしたが、言葉や文化の壁を乗り越えられず貧困に陥り、一時は日本政府を相手取り2,000人規模の集団訴訟を起こすまでに追い詰められた。政治的解決を得て、現在は生活の基盤を保障されたものの、そのほとんどが言葉の壁によって日本社会に溶け込めないまま老後を迎えている。

 

映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』は、2つの国の残留者たち、 そして彼らを救おうとする市民たちの活躍を描きながら、私たちが生きる”日本という国の今”を浮き彫りにしてゆく。国民の保護者である国家には残留者たちに果たすべき使命がある。

 

日本人の忘れものとは何か?戦後75年目。日本政府は救済に動き出すのか――  監督は、CMなどを中心とした映像制作を手掛けて来た小原浩靖さん。今回は、小原監督と企画・製作を担当した弁護士の河合弘之プロデューサーに、映画製作の過程や映画に込めたメッセージなどについてお話を聞きました。

 

知られざるフィリピン残留日本人

――この映画を撮影し始めたのはいつだったのでしょうか。

 小原20183月でした。3週間フィリピンに行き、フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の事務局長の猪俣典弘さんの調査に同行したんですね。その次は中国残留孤児の方に会いに介護施設の一笑苑に行ったり、施設の利用者さんのご自宅でお話を聞いたりして撮影していました。

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                          小原浩靖監督


 中国残留孤児の方々は国策により満州に移りすんだ日本人の両親の間に生まれた人たちですが日本語を話せません。一笑苑の介護士の三上貴世さんに通訳をしてもらったのですが、彼女がいると認知症も調子がいいという方がいるぐらい、みなさんが心を開いている人でした。三上さんなしでは撮影は出来なかったと思いますね。

 

――この映画の撮影がきっかけで問題解決に向けた動きがあるとも聞きました。

小原:昨年の7月にトマサ・ヘラルデスさんという女性が登場するシーンをDVDに収めて家庭裁判所に提出したのですが、2度目の申立てで就籍許可が下りました。  1回は却下されていた事案でしたが、家庭裁判所の裁判官は映像で「こういう状況にある人なんだ」と分かってくれたのではないでしょうか。それまでは陳述書と写真だけでしか彼女のことを知れなかったところ、映像を見せることで心証が変わったのではないかと。

 

 なぜ2回目の申立てで就籍が認められたのかは分かりませんが、映像には「実際に会う」感覚に近いものがあるのではないかとも思いました。やはり実情を知ってもらうには目の当たりにすることが大事なのではないかと。そうしたこともあって、この映画は国会議員にも配っています。

 

 また、昨年の春、劇中にも登場するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の駐フィリピン事務所代表に就任したばかりの久保眞治さんにフィリピン残留問題の20分ぐらいの短編を作って渡しました。久保代表も「フィリピン残留日本人」と呼ばれる人たちの存在は知っていたものの、具体的な人物像についてはわからなかったとのことでした。このビデオを見てから、本腰を入れて問題解決に取り組むということになったんです。

 

国家による救済とは

――映画を作り始める前と作り終えた後で政治に対する見方に変化があったのでしょうか。

小原:改めて政治は国民のためにこそあるべきものだと感じました。フィリピンや中国で戦争のせいで国籍もなく路頭に迷っている人たちを救済する。それは当たり前のことではないのかと。  河合弁護士に最初に会った時に、映画の冒頭にも登場する「自国民の保護は、国家の根本的な義務である」という言葉について説明を受けました。言われてみればそうなのですが、「国家が国民を保護する」と捉えたことはなかった。この映画はそこに対する気付きから始まっていますが、映画を作り終えてその思いはより深くなっています。

 

 また、コロナ禍でこの映画は今日的なテーマの映画になったと感じています。緊急事態の今、国がコロナから自分を守ってくれていると感じている人は少ないですよね。最初はコロナの感染拡大防止よりオリンピックを優先しようとしていましたし、休業に対する補償の不十分さや、10万円の給付金が未支給であるなどの問題もあります。

 

 国は国民に対して「自己責任」を押し付けているのではないかと。  この映画は2月に参議院議員会館で政治家も含めた200人規模の試写会をしたのですが、その時からコロナ禍を想起した人は多かったです。

 

――確かに、残留孤児問題もコロナ禍も緊急時における国家による国民の救済が問題になっていますね。

 小原:この映画に登場するフィリピン残留日本人も中国残留日本人も、戦争という国家の事情によりある意味祖国を失った人たちです。しかしながら、彼ら彼女らは国が自分たちを救済してくれると信じていたのではないでしょうか。

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                          Kプロジェクト


 そう感じたのは、ミンダナオ島にある日本フィリピン歴史資料館で、出征前夜の男性が妻と幼い娘に残した遺書を発見した時でした。遺書の内容は「自分は今から兵隊に取られていくけれども何かあったら日本国が守ってくれる」という内容なんです。

 

――汝もし一身上の事で思案に及ばざる事あらば、(中略)日本帝国政府に懇願し、援助を受けよ。 天皇の国・大日本帝国は即ち汝等の父の国にして、同時に汝等の保護者たる事疑いなし。  20183月に23日間ロケに行って、フィリピンで戦後75年にもわたって国籍もなくひっそりと生きてきた方々を目の当たりにして、この大きな問題をどのようにして映画のサイズに収めれば良いのかわからなかったんです。フィリピン残留日本人と中国残留孤児という2つの問題を1つの映画の中でどのように描いたら良いか悩んでいたんですね。

 

  ところが、この遺書を見た時に映画ができると思いました。遺書の「国が守ってくれる」という言葉と河合弁護士から聞いていた「自国民の保護」という言葉が重なって、2つの問題に共通した何かを感じたんですね。中国残留孤児のお母さんも、フィリピン残留日本人のお父さんと同じように自分の子どもを現地の方に託した時に「きっと国があなたを助けに来てくれる」という思いがあったのではないかと感じました。

 

日本政府の対応を核に

――長年CMを中心に映像を制作してきたとのことですが、今回、初めて映画を作ってみていかがでしたか。

 小原:大学卒業後、CM制作会社を経て、28歳の時から28年間フリーランスでやってきました。広告は長くても30分、映画は2時間という長さの違いはありますが、それに対して構えることはなかったです。自分はいわゆる雑食の人間でCMなのかプロモーションビデオなのかドキュメンタリーなのか、敷居がありませんでした。何でもやりたかったんですね。  ただ、広告の仕事でも商品の開発者や生産農家にインタビューする比較的長時間のCMなどは制作していましたので、そういう意味でインタビューシーンの撮影は慣れていましたね。

 

――映画を制作するにあたり、どのような点に気を付けたのでしょうか。

 小原:この問題を目の当たりにして欲しいという気持ちがあったので、スクリーン越しに「残留者の方々に会っている感じ」を出すようにしました。  また、この映画の制作はフィリピンや中国に未だに残る問題の周知が目的なので、問題について知る機会の少ない小中学生でもわかる映画にしたかったんですね。フィリピン残留日本人と中国残留孤児の映像をシャッフルしていく中で、問題の核は日本政府の対応にあるということを浮き彫りにしようと思いました。

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                          ⓒKプロジェクト


 チラシも、ドキュメンタリーは数多く登場人物が掲載されるのが普通ですが、それだと難しい印象になってしまうので、デザイナーと相談して、今回は劇映画のようなシンプルなものにしました。今回のチラシはフィリピン残留孤児の赤星ハツエさん一人をフィーチャーしています。  赤星さんは日本人の父親と生き別れていましたが、PNLSCの調査で父親の身元が判明し、2013年に就籍が許可された方です。映画の最初と最後にも登場しますが、赤星さんが象徴となるような群像劇にしたかったんですね。この問題は容易には解決しませんが、映画の中では見た方が「物事が良い方向に動いて良かった」というカタルシスを得られるような構成にしています。

 

 ――この映画はある意味政治的なメッセージを持つ映画ですが、そうした作品の監督をすることについて感じていることはありますか。

小原:例えば原発問題などもそうなのですが、僕たちフリーランスのCMディレクターは広告主さんに雇われる立場にあるので、政治的なイシューに関わる活動は自粛するような雰囲気を感じることもあります。でも、自分の職能でメッセージを届けられるのであれば、積極的にやるべき時代だと思いますね。

 

――次はどのような作品に取り組みたいと考えていますか。

小原:劇映画をやりたいです。戦争、災害など被害に遭った人たちは個人では克服することのできないダメージを負っていますが、そのダメージに対して不思議な力が克服していく手助けになる、というストーリーを考えています。震災で亡くなった人たちの家族が、自分の霊体験を話すことによって浄化されていくという話を読んで思い付きました。前向きになれるファンタジーを作ってみたいです。

 

映画には社会を変える力がある

――作品に込めたメッセージについてお聞かせください。

河合:『日本人の忘れもの』というタイトルは「70年も日本政府、そして日本人全員がこの問題を忘れているのではないか?」いう意味を込めて付けました。  フィリピン残留日本人の方々はご高齢なのでこれ以上待たせることはできません。問題の消滅を迎えるのではなく、問題の解決が必要なんです。そのためには世論の盛り上がりが必要です。映画に登場する方々をみなさんの力で助けて欲しいと思っています。

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          河合弘之プロデューサー(左)と小原浩靖監督(右)

小原:今、政治家などの不祥事が世の中を騒がせていますが、この映画には残留者の方々を救済しようとする弁護士、リーガルサポートセンターのスタッフ、国連職員、ジャーナリスト、通訳など多くの方々が登場します。  格好良くない大人が目立つ世の中で、困っている人たちを何とか救いたいと強い意思を持って活動している人たちがいるんですね。

 

サポートする大人を描くことで「日本にはやるべきことをやっている格好いい大人がたくさんいる」ということを小中学生にも知って欲しいです。  多くのドキュメンタリーのゴールは問題を伝えることですが、この映画は問題を伝えて社会を動かすことがゴールです。「映画には社会を変える力をある」という言葉がありますが、この映画で世の中が動くということを証明したい。そのためにも、より多くの方々にこの映画を見て欲しいと思っています。予備知識なしで見てもらえる映画です。

 <取材・文/熊野雅恵> <撮影/鈴木大喜>

熊野雅恵(くまのまさえ)

 ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。

 

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『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』 河合弘之プロデューサーに聞く<映画を通して「社会」を切り取る24


ハーバード・ビジネス・オンライン(熊野雅恵:ライター)

2020.07.26

 

フィリピン残留日本人と中国残留孤児を描く

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             ⓒKプロジェクト


 
フィリピン残留日本人と中国残留孤児の現在の姿を描くドキュメンタリー『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』が、ポレポレ東中野で公開されています(8月上旬から全国の劇場で順次公開)。

 

 「私を日本人と認めて欲しい」ーー。  そう訴える残留邦人がフィリピン全土に今もおよそ1000人存在している。彼らは、太平洋戦争で激戦地となったフィリピンで、戦前から移住していた日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子どもたち。

 

  日本の敗戦を境に、日本人の父親と生き別れ、反日感情の激しいフィリピン社会で身を隠すように生きてきた。父との血縁を認められたい、そして日本国籍を得たいと願う人たちに、日本政府は支援の手を差し伸べずにいる。平均年齢80歳を超えた彼らに残された時間は少ない。

 

私は日本人。でも言葉がわからないの!」ーー。

一方の中国残留孤児は、1972年の日中国交回復後、両国政府による帰国支援事業により日本への帰国定住を果たしたが、言葉や文化の壁を乗り越えられず貧困に陥り、一時は日本政府を相手取り2,000人規模の集団訴訟を起こすまでに追い詰められた。政治的解決を得て、現在は生活の基盤を保障されたものの、そのほとんどの人々が言葉の壁によって日本社会に溶け込めないまま老後を迎えている。

 

 映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』は、2つの国の残留者たち、そして彼らを救おうとする市民たちの活躍を描きながら、私たちが生きる”日本という国の今”を浮き彫りにしてゆく。国民の保護者である国家には残留者たちに果たすべき使命がある。日本人の忘れものとは何か?戦後75年目。日本政府は救済に動き出すのか――

 

 監督は、CMなどを中心とした映像制作を手掛けて来た小原浩靖さん。今回は、企画・製作を担当した弁護士の河合弘之プロデューサーに、映画製作の過程や現在の思いなどについてお話を聞きました。

 

社会問題は司法だけでは解決しない

――映画製作の趣旨についてお聞かせください。

河合:私は映像作家でも映画監督でもないので、映画を作ること自体が目的ではありません。この映画は問題を解決するための手段としての映画です。中国残留孤児、フィリピン残留日本人問題に弁護士として関わり、約40年もの間、数多くの就籍(国籍取得申立)に関わってきましたが、特にフィリピン残留日本人問題は就籍に必要な身元確認の困難等、大きな部分が未解決で残っています。

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           河合弘之さん

 
フィリピン残留日本人の方々については今もなお就籍が認められていない人たちが1000人程度存在し、その多くは80歳を超えています。残された時間が少ないのです。司法を利用した個別の申立てによる救済では間に合わないので、より包括的な、政治的な解決を求めてこの映画を製作しました。政治的な解決には世論を盛り上げることが必要で、そのためにはまず、この問題について多くの人たちに知ってもらうことが大切なんです。

 

 過去にやはり原子力発電所の問題点の周知を目的として『日本と原発 私たちは原発で幸せですか?』(14)、『日本と原発 4年後』(15)、『日本と再生 光と風のギガワット作戦』(17)の3作を製作しています。

 

――フィリピン残留日本人の就籍の申立てを続ける中で「裁判闘争の限界」を感じたとのことでしたが、中国残留孤児が戦後帰国の機会を奪われ、帰国後も国が十分な支援をしなかったとして損害賠償を求めた国家賠償訴訟においても、裁判所は原告側が打ち出した論理はさほど吟味せず、最終的に結論ありきの敗訴判決を出しているように感じました。

 

一方で、ハンセン氏病では小泉純一郎元内閣総理大臣が一審の原告の勝訴判決の控訴を見送り、中国残留孤児による国家賠償訴訟では安倍晋三内閣総理大臣の指示により法案が成立し、老齢基礎年金の満額支給が認められるなど、政治判断により事実上の勝訴に近い結果が得られるというシーンも登場します。

 

河合:弁護士になって半世紀を経て感じることは、全ての社会問題は総力戦でしか解決しないということです。社会問題の解決のためには、裁判の他に集会もデモも署名運動もメディアによる働きかけもやる。裁判はその総力戦の中の一部に過ぎません。  裁判だけで解決しようとすると失敗しますね。映画には政治的な判断により問題が解決へ向けて動くシーンがありますが、そのきっかけはやはり世論の盛り上がりが大きいです。

 

 もちろん、今後も裁判は続けていきます。ただ、裁判の特色は「合法的な暴力装置である」ということです。例えば、原発訴訟であれば仮処分の判決を取れば、翌日に原子力発電所は止まります。そういう形式の闘い方は裁判しかない。しかし、そのことだけでは根本的な解決は得られません。複数ある解決手段の中の一つと考えなければ裁判至上主義になってしまいます。

 

――裁判官が事件に対してどのような心証を持つかも重要ですね。

河合:裁判官も社会の一員なので、社会の雰囲気に影響されます。古典的な訴訟法の立場からすれば、裁判は本来、証拠のみに基づいて行われなければならないので、社会の雰囲気に左右されてはいけません。裁判官は、建前上は事件に関する新聞やテレビの報道も見てはいけないと言われています。  しかし、社会生活をしている以上、実際にはどこかで見聞きしている。また、判決は社会の一員として生活をしている人の感覚も取り入れるべきと考えるとそのこと自体を否定できません。

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           ⓒKプロジェクト

 
確かに、50年前に弁護士になった時には司法は強いと思っていました。孟子の言葉に「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾往かん。」という言葉があります。自分が正しいと思うのであれば多くの人が反対しても自分の道を行くという意味で、自分もその言葉を信じていました。

 

しかし、実際には1000万人を敵に回しては正義は貫けません。社会の雰囲気を変えながら、判決の枠組みを変えながら裁判を闘っていかなければ勝てないんですね。それが長年の裁判闘争の経験から到達した考え方です。

 

 ――劇中には立法による解決が必要と語る研究者も登場します。

 河合:確かに、戦後補償のための立法措置は理想的な姿だとは思います。しかし、終戦から75年が経つので、現実的には難しいと考えています。そこで、個別の就籍申立てによる救済ではなく、もう少し大きな、政治判断による包括的な救済の枠組みが必要だと感じています。この映画をその枠組みを勝ち取るための契機にしたいです。


判決の枠組みを変えるために

――近時、日本の裁判所の判決は、論理構成よりも結論の妥当性を重視しているのではないかという法曹関係者の言葉を耳にしたことがあります。

河合:例えば、原発問題だと「日本は資源がない。原発がないと電力がなくなってしまう。原発は必要悪だ」という認識の枠組みをベースに判決が下されていると感じます。その枠組みの中での「妥当な」判決を下すとなると、当然、請求棄却となります。

 

 だからこそ、その枠組みを変えていかなければならない。原発というのは大事故になったら世界を滅ぼすかもしれないし、使用済み燃料は後世に大きな負担を強いるものだということがわかったら、裁判官が考える「妥当」な判断は変わるのではないかと。

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           ⓒKプロジェクト


 その枠組みには、映画はもちろんのこと、ジャーナリズムが影響します。また、その枠組みを変えることができたなら、「妥当」な判決の中身も変わります。よって、結果的に世の中も変えられるということなんですね。  そして、妥当な結論の中にも幅がある。その中でなるべく有利な判決を導く方向で論理を打ち立て弁論活動を行う。それが、弁護士の仕事です。

 

――現在のフィリピン残留日本人による就籍申立てに対する妥当性判断の枠組みとはどのようなものなのでしょうか。

河合:いわゆる両親ともに日本人ではない、つまり、フィリピンと日本人の間に生まれた子であるということです。そして、フィリピン日系人は勝手にフィリピンに出稼ぎに行った人たちの子孫で、国策により満州に行かされた人たちの子孫である中国残留日本人孤児とは違うという理屈が作られていること、また、終戦後、日本に来ようと思えば帰って来ることができたはずと思われていることですね。

 

 その枠組みで判断すると、国籍は許可せず放っておいてよいというのが「妥当」ということになってしまいますね。  しかし、実際には戦争で父親と生き別れた母子が日本に来ることはほぼ不可能でした。現実と乖離した枠組みの中で判断がなされているということなんです。

 

 ――原発訴訟も積極的に手掛けていますね。

河合:原発裁判については、科学的に難解な論争をやり過ぎていると感じます。今、原発問題を担当する裁判官は「忙しいので時間がない」「3年の任期の中で結論を出さなくてはならない」「文系なので科学的な理論を理解できない」という三重苦に立たされています。  そういう厳しい状況の中で難解な議論を理解するのは無理なんです。

 

だから結果として、立証に対する踏み込んだ質問は一切なく、わかったような顔をして、権力側の御用学者の言うことを切り貼りして判決を出しているという印象を受けます。そうすれば裁判所も非難を受けることはないんですね。

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           ⓒKプロジェクト


 学会の科学論争は永遠に続くかに思えますが、いずれデータと実績で収斂します。しかし、裁判は3年で結論を出さなくてはならない。わかりやすい理屈で裁判官に問い掛けないとダメなんです。そういうこともあって、今は原発裁判改革運動をしています。現在の裁判は8割程度まで結論が出ていますが、将来的にはもっとわかりやすい、新しい枠組みの中での裁判をやりたいと考えていますね。

 

  妥当という結論を下すための枠組みを変える。そのために、枠組みを作るベースとなる事実に対する認識を変える。そのための映画であるということは、原発問題を扱った3作品、そして今回の作品も同じです。

 

 原発問題の3作品は訴訟資料として提出しましたが、今回の作品も就籍申立ての時に提出します。この作品で裁判官の心を動かしてフィリピン残留日本人に対する認識を変えたいんですね。

 

――映画で広く問題を訴えていきたいとのことですが、ニュース報道や書籍と異なる映画メディアの特質についてお感じになっていることがあればお聞かせください。

河合:映画はやはり激情を呼ぶんだと思いますね。映画はスクリーンで見るので体験に近いかもしれません。そもそも問題に対して関心がなかったような人たちも引き寄せる力を持っていると思います。

 

国家賠償訴訟の求心力は

――フィリピン政府や国連難民高等弁務官事務所など国外の機関がフィリピン残留日本人問題の解決に向けて積極的に協力しようとする姿が描かれます。このような外圧とも言える動きに対する日本政府の動きは鈍いのではないかと感じました。

河合:その外圧が日本社会の中で大きく聞こえないことが問題なのだと思います。日本の政府は極めて外圧に弱いと思っています。問題はその外圧が日本社会の中でどのように捉えられているかなんですね。そのためには、新聞や雑誌、テレビでしっかり報道することが大切です。そうすると政府の側も「こういうことが問題になっているのか」と気が付いて動き出すんですね。今回の映画はそういう動きを狙っています。

 

――中国残留孤児だった池田澄江さん(徐明さん)が日本国籍を得て、かつてご自分と同じ立場にあった中国残留孤児の方々を活き活きとサポートする姿が印象的でした。

河合:池田さんの戸籍取得を担当した後も、別の就籍申立てに際しての中国語から日本語への翻訳やコピーなどの事務作業を手伝ってもらっていました。その作業中に自分に合う仕事が見つからないとも聞いていたので、就籍作業を専門の仕事にしてもらおうと永久雇用の事務員になってもらいました。

 

  池田さんは私の秘書ともとても仲良くなって水を得た魚のごとく活躍しました。就籍申立てをした1,250人中1,230人程度は池田さんが関わっています。電話をしたり手紙を書いたり、また本人の元に出掛けて陳述書を取って、ということを一所懸命にやってくれて、その中でどんどん日本語も上達しました。

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           河合弘之さん


 そしてそれが後に提起する国家賠償訴訟につながります。1,200人近い人に面談したり電話や手紙を通じてコミュニケーションする中で、池田さんは親しみを持たれ、信用もされ、そして、訴訟を躊躇している方のところに行って、泊まり込みで説得もしてくれました。そうした経緯があったので、裁判を起こした時には彼女が求心力となって一致団結したと思います。

 

 中国残留日本人孤児による2,200人が原告となった国家賠償訴訟は、池田さんが国籍を取るという仕事をやっていたからできたことです。それは彼女が優秀だからこそできたことですが、現在活き活きとしているのは、後にそれが彼女の人生に役立ったのだと感じますね。 ※後半では小原浩靖監督に映画製作の経緯や映画に込めたメッセージをお伺いします。

 <取材・文/熊野雅恵> <撮影/鈴木大喜>

熊野雅恵(くまのまさえ)

 ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。



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本日、「広島市中国帰国者の会」の主催する「春節交流会」が、基町の中央公民館で開催されました。地元の中国人帰国者を始め関係者が参加し、餃子等の中華料理をいただき、踊り、二胡、馬頭琴の演奏などおおいに楽しみました。

1.舞台 2.会長挨拶 3.来賓挨拶 4.央歌踊り 5.二胡演奏 6.馬頭琴演奏 7.太極拳

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200118 春節交流会
*図表は、クリックで拡大

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同じ市民 共に歩んで

「帰国者のことを知ってもらい、共に歩んでいきたい」と話す劉代表(広島市中区で)
「帰国者のことを知ってもらい、共に歩んでいきたい」と話す劉代表(広島市中区で)

 ◇広島市中国帰国者の会 劉計林代表に聞く

 ◇なお残る偏見 まず理解を

 中国残留邦人やその家族らによる「広島市中国帰国者の会」は、広島市中区の基町地区を拠点に活動している。劉計林代表(61)に、活動内容や残留邦人が抱える悩みについて聞いた。

――会の活動について。

 現在、約170人の会員がおり、そのうち活動に参加している1世は40人くらいいます。主に市中央公民館で日本語学習のほか、太極拳や料理、舞踊などの教室を開いて、帰国者たちが心身ともに心地よく過ごせるように努めています。

――抱える悩みは。

 2008年に支援法が変わり、1世は以前より安心して生活できるようになりました。それでも、日本語が話せない人にとって病院や老人ホーム、デイサービスなどでコミュニケーションの壁は依然として大きいです。

 悩みは1世だけではなく、2世にもあります。1990年代以降、遅くに帰国した2世は1世と同じく日本語ができない人が多く、仕事も見つかりません。多くは50~60歳代になりましたが、1世と違って年金など国の支援もありません。

――差別や偏見もある。

 1世は中国での生活が長く、ゴミの捨て方やあいさつなど、生活習慣の違いから、周辺住民とトラブルになることがあります。数年前には、市営基町アパートの掲示板に「中国村」「出て行け」といった内容の落書きが見つかり、胸が痛みました。平和都市の広島で、こういう差別や偏見があってはいけないはずです。

 広島は原爆被害について知られています。しかし被爆者も残留邦人も、同じ戦争の被害者です。国策に従って苦しんだ残留邦人が、帰国後も苦しんでいるのは悲しいことです。

――将来や今後について。

 まずは帰国者のことを理解してもらいたい。特に若い人たちは残留邦人の苦難の歴史をほとんど知りません。私たちは未来に向かって日中友好の懸け橋となり、もうあのような悲劇のない世の中を作りたいのです。

 毎年、旧正月には交流行事を開いています。今年は200人以上が参加し、地域の方々ら約70人を招待しました。交流を通して帰国者の活動を知ってもらい、同じ広島市民として、共に前向きに歩んでいければと思っています。

(おわり。山上高弘が担当しました)

     ◇

 ◇知るべき歴史・存在 ――取材を終え

 被爆地・広島では原爆に関する話題が多い。私も戦争について考えてきたつもりだったが、中国残留邦人が抱える問題については不勉強だった。国策で海を渡り、置き去りにされ、家族を亡くし、帰国後も苦難を背負い続ける人たち。取材を重ねるうち、日本人と中国人のはざまで生きることを強いられた存在なくして、戦争を語ることはできないと思うようになった。

 世界では今も人種差別があり、排外主義も強まりつつある。それを取り上げ、批判する人は多い。一方で、身近に住む残留邦人に、私たちはどれほどの関心を持ってきただろう。

 「戦争は家族バラバラにする。同じこと起きないように、これからも伝えます」。白島小で、残留邦人の川添瑞江さん(79)が子どもたちに自らの人生を語った後、私に話してくれた。その言葉が今も胸に突き刺さる。

「第5回満蒙開拓移民と中国帰国者展」が2019年10月20日ー24日に開催されました。

                    1.会場案内
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                     2.生活状況
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3.満洲移民の帰還状況
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4.帰国者数および世帯数
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