WEDGE Infinity (赤坂英一 スポーツライター)

2020/9/9

 日本ハム・中田翔(31)が久々に〝らしい姿〟を見せてくれたと思った。と言っても、土壇場での決勝打や豪快なホームランのことではない。首位を走るソフトバンクとの試合中、チャンスに凡退して怒りを露わにしたのである。

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                             Pete Van Vleet/gettyimages

 ファンの間で話題になった場面は8月30日、ペイペイドームのソフトバンク戦。初回に4点を先制しながら、その裏に3点を取られてたちまち1点差に追い上げられた二回1死一、三塁だった。ここで打順が回ってきた中田は三ゴロに倒れて追加点を挙げられず。その直後、ベンチに立てかけてあったバットを振り上げ、悔しさを剥き出しにして見せたのだ。

 ちなみに、試合はその後、逆転負け。二回のチャンスで中田に3ランの一発でも出れば快勝していたかもしれない。中田は試合後、さらに悔しさを募らせたことだろう。

 中田は栗山英樹監督就任1年目の2013年から開幕4番に指名され、今年まで9年連続で重責を継続中。そうした中、昨季は右手のケガ(右手母指球部挫傷)などもあって、13年以降最も少ない124試合出場にとどまり、チームも5位に低迷している。

 主砲として捲土重来を期した今季は打撃絶好調で、8月22日の楽天戦では12球団一番乗りの20号本塁打を放った。シーズン最速での20号到達は、中田自身15年以来5年ぶり2度目で、球団史上初の〝快挙〟でもある。

 また、打点もこの時点で12球団トップの64をマーク。9月に入っても勢いは衰えず、12球団最速で70打点を突破した。

 日本一となった16年以来2度目の打点王に加え、中田自身初の本塁打王のタイトルともあわせて、2冠も視野に入っている。最近、ソフトバンク・柳田悠岐(31)、西武・山川穂高(28)に奪われていた感もあった「パ・リーグを代表するスラッガー」の座を、持ち前の底力で奪い返す可能性も大だ。

 しかし、チームは開幕以降、まったく首位争いに絡むことなく、昨季に続いてBクラスに沈んだまま。中田がソフトバンク戦で怒りに任せてバットを振り上げたのも、相当鬱憤が溜まっていたからに違いない。それはまた「主砲として自分がチームを引っ張っていかなければならない」という責任感の裏返しでもあると思う。

 私が初めて中田にインタビューしたのは、ちょうど10年前の2010年で、場所は二軍の本拠地・鎌ヶ谷だった。中田はまだ3年目で、長らく二軍暮らしが続いていた最中。入団時に太り過ぎていることを記者に指摘されて、「動けるデブになったらいいんでしょう」と発言したり、ソフトモヒカンのような突飛なヘアスタイルにしたりと、何かとやんちゃなイメージが強かったころである。

 「入団したころは、自分でもアホみたいやと思うようなことを言うてましたね。でも、僕、あのころはずっと戸惑ってたんです。毎日が戸惑いの連続というか。僕の場合、野球選手としてというより、別のイメージが先行して騒がれてましたから」

 日本ハムの二軍監督として中田を預かった水上善雄は当時、こう指摘していた。

 「中田は甲子園で活躍した高校(大阪桐蔭)時代から、〝清原二世〟と言われていたことを意識していました。高校3年間の通算で、清原(和博)を抜く本塁打の新記録(87本)を作って、清原と同じドラフト1位で入ってきましたからね。

 でも、プロ野球のスーパースターは、誰もが特別な個性を持っているものです。清原や落合(博満)さんがそうだったように、誰かの二世やコピーであってはならない。中田にはそう言い聞かせました」

 その意識付けの一環として、水上は中田に、サインを求められたら「初代中田翔」と書くように勧めた。まだ結果の出ていない高卒の若手に対して、下手をしたらファンに笑われかねないようなことを教えたのだ。

 しかし、こういう大胆な意識改革が、毎日戸惑ってばかりいた中田にとっては、間違いなくプラスになった。中田本人も、こう振り返っている。

 「二軍ではそういう指導を受けて、僕の精神状態だとか、首脳陣がちゃんと見てくれてるんだな、ということを感じましたね。周りの選手を見ても、それぞれの個性や特長に合わせた指導が行われている。これがプロなのか、プロってすごいな、と思いました」

 こうして中田は一人前に成長していった、と書くとわかりやすいが、今日の地位を築くまでにはその後も様々な紆余曲折を経なければならなかった。08年、初めて中田を一軍に昇格させた当時の日本ハム監督・梨田昌孝はこう話している。

 「翔はすぐ裸にされるんですよ。相手バッテリーに見下ろされている。わかりやすく言えば、真っ直ぐで内角を突いて、変化球を外角に落としたら、クルリと空振りしておしまい。確かに長打力はあるんですが、打者としての怖さやいやらしさがまだ足りない」

 栗山監督から開幕4番に指名された12年以降も、すぐ貫禄たっぷりの主砲として恐れられるようになったわけではない。現に田中将大は、楽天の大エースだった13年、中田を評してこう言っている。

 「中田はわかりやす過ぎるんです。対戦するたびに、いつも真っ直ぐを投げてください、という顔をしてるんだから。そんな、相手が口を開けて真っ直ぐを待っているところへ、わざわざ真っ直ぐを投げてあげるような投手はいませんよ」

 このように田中に見下ろされているのは、中田も十分感じていたらしい。

 「田中さんは、僕に本気の真っ直ぐを投げてくれたことが一度もありません。攻め方も、稲葉(篤紀、現侍ジャパン監督)さんと僕とでは全然違います。田中さんは稲葉さんには全力でいくけど、中田にはこのぐらいでええやろって球しか放ってこないんです」

 日々、そういう悔しさを糧に経験と練習を積み重ねてきたからこそ、今日の中田がある。1819年の2年間はキャプテンも務め、選手に檄を飛ばしたり、ときには食事会を開いてねぎらったりするようになった。その姿は、かつて日本ハムの中心選手だった時代の稲葉を彷彿とさせる。中田は選手としてだけではなく、チームリーダーとしても着実に成長を遂げているのだ。

投手陣を下から支える〝縁の下の力持ち〟

 そんな中田が1試合2本塁打で大暴れした試合で、前人未踏の大記録を打ち立てた投手がいる。8月12日、ZOZOマリンスタジアムでのロッテ戦で、今季13ホールド、プロ野球史上最多の通算350ホールドを達成した中継ぎ投手・宮西尚生(35)だ。

 中田を打線の牽引車とするなら、この宮西はさしずめ、投手陣を下から支える〝縁の下の力持ち〟というところか。

 中田とはドラフト同期生で、07年秋の大学・社会人ドラフト3位指名を受け、関西学院大から日本ハムに入団した。プロ1年目の08年から開幕一軍入りを果たして以来、すべてリリーフで13年連続50試合以上に登板している。

 チーム事情で抑えに回されたケースはあるが、ほとんど中継ぎ一筋。先発が一度もない半面、故障や不調で長期離脱したシーズンもまた一度もない。

 13年間で最多ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手賞のタイトルを獲得したシーズンが3度。チームが5位に終わった昨季も試合を壊さないように投げ続け、自己最多の43ホールドをマークしている。まさに鉄腕、かつ鉄のメンタルの持ち主と言っていい。

 それでも、「リリーフは裏方。主役は先発投手か野手でいい」が宮西のモットー。球界最高の実績を、決して自ら誇ろうとしない。

 この宮西もまた、ベンチ裏では常にチームメートへの気配りを欠かさない。ロッカーやブルペンの空気が澱んでいると、自ら冗談を飛ばして和やかに話せる雰囲気を作る。後輩の投手が打たれて落ち込んでいたり、一軍に昇格した若手がストレスを抱えていたりすると、食事に誘って彼らの悩みを聞く。

 以前、宮西に話を聞いて感心させられたのは、「投手だけでなく野手にもふだんから声をかけて、ときには食事にも行くようにしている」ことだ。

 「野球チームは、投手は投手、野手は野手で分かれて固まることが多いんですが、それはよくないと僕は思う。そういうチームでは、例えば投手が四球を出すと、後ろで守る野手が『なんで歩かすねん』と思ったり、野手がチャンスで凡退すると、投手が『なんで打たへんねん』と思ったりするやないですか。

 そういうチーム状態では、勝負をする上で最初から不利になってしまう。だから、普段から投手と野手がコミュニケーションを取ることが必要なんです。そうやって、お互いの性格がわかれば、投手は『いつも点を取ってくれる野手のためにゼロで抑えよう』とか、野手は『いつも抑えてくれている投手のために点を取ってやろう』と、自然と考えられるようになるものだから」

 そうした投手と野手がコミュニケーションを取ることの大切さは、「稲葉さんや金子(誠、現日本ハム野手総合コーチ)さんがまだ現役だったころに教わりました」と、宮西は話していた。彼もまた中田と同様、稲葉や金子のレガシーを受け継いだ選手のひとりなのだ。

 07年ドラフト同期生コンビ、中田と宮西がどうチームを建て直していくのか。そういう視点から見れば、今季の日本ハムはまだまだ面白い。

〈参考資料〉

○日刊スポーツ:nikkansports.com『日本ハム中田が怒り爆発、ベンチでバット振り上げる』8月30日配信

○Sports Graphic Number PLUS『FIGHTERS’ IDENTITY 北海道日本ハムファイターズ 11年目の未来設計図』2014年4月1日発行/文藝春秋

○赤坂英一著『プロ野球二軍監督 男たちの誇り』Kindle版/講談社