他人が笑い、自分自身も愉しめるチャレンジだから継続できる

JBpress(惣才 翼)

2020.9.7

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これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)。

前回の記事はこちら(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61798

昭和6062年:3840

 折からバブル経済の真っ只中、少しずつ商品開発のコツを覚え、2便制から3便制に移行して売り上げが増えるにつれ、社員やパートタイマーの人材不足が切迫した課題となってきた。

 大学や短大、高校に求人表を提出しても、知名度が低く、福利厚生など諸々の待遇も決して良くない中小企業への応募者はゼロだった。

 伝手のある女子短大の就職部の部長に頼み込み、年に1人の栄養士を紹介してもらうのがやっとという状態だった。

『笑顔をください』をキャッチコピーに、パートタイマー募集チラシを新聞に折り込んだ後の数日間、恭平は会社の前を徘徊するのが常だった。

 チラシの地図を頼りに自転車に乗って訪れた応募者は、老朽化した社屋を一瞥するや、ハンドルを切ってUターンしようとする。素早く駆け寄り自転車の荷台を掴んだ恭平は、キャッチセールスもどきに声をかける。

「ご応募に来られた方ですね。2階の事務所へ、どうぞ」

 引きずるように向きを変えさせ、強引に面接へと誘う。応募者が鉄製の階段を音を立てて上がり、事務所のドアを開け、応接用のビニール・ソファーに腰を下ろした頃を見計らって、恭平はゆっくりと階段を上り事務所のドアを開け、応募者に向き合った。

「ご応募ありがとうございます。先ほどは失礼しました。私が、社長の本川です」

 恭平の一人二役の熱演に応募者は唖然とし、頬を緩めれば、面接の半分は成功である。

 良い商品づくりには、良い人材の確保が必須であると恭平は考えていた。

 しかし、人材の良し悪しを論じる前に、人員が集まらない無名企業の悲哀が身に染みた。

 頭を抱える恭平に、広告代理店勤務時代の上司から嬉々とした声で電話があった。芥川賞の登竜門とも称される、「文学界」の新人賞を受賞したと言う。

「そうか、その手があったか!」

 ひろしま食品の社名を瞬時に広めることは難しくても、社長である恭平が、一躍脚光を浴びることならできるはず・・・。

 受賞の暁には、新聞社やテレビ局の取材が相次ぎ、必然的にひろしま食品の名もマスコミへ露出されるはず・・・。

 すると、文学に興味を持つ女子大生、知的好奇心旺盛な主婦の多くが関心を抱くはず・・・。

 そして、文学に造詣の深い社長の下で働いてみたいと、応募者が殺到するはず・・・。

 幾つかの「はず」が重なれば、人手不足は解消するはず!だった。

 独り善がりな目論みに自己陶酔した恭平は、平均4時間の睡眠時間をさらに削り、究極の求人活動と意気込んで執筆に精を出し、100枚の処女作を書き上げた。

 書き上げた処女作は、何度読み返しても上司の受賞作よりも格段に面白く、恭平は秘かに受賞を確信した。

「文学界」に投稿した日から、恭平は1次審査の発表を待ち焦がれた。

 しかし、発表された100人足らずの1次審査通過者の中に、恭平の名前を見つけることはできなかった。

 どうしても落選の結果に納得できない恭平は、作品が未熟なのではなく、雑誌との性格不一致にあると無理矢理に断定した。

 100枚の原稿を80枚に削り込み、清書し直して投稿した「オール読物」では、1次選考は通過したものの、やはり落選。

 純文学で落選、大衆文学でも落選なら、小説の才は無いのかと諦めかけた恭平に、広告代理店時代の友人である津嶋孝雄がアドバイスをくれた。

「サービス精神に富む、本川さんの小説は中間小説ですよ。『すばる』に応募しては・・・」

 純文学から大衆文学、そして中間小説と節操なく彷徨いながらも、差し迫った求人の必要性に駆られ、規定枚数である200枚以上に膨らませるため、恭平は奮起して書き綴った。

 投稿した210枚の力作は、2次選考を通過し最終選考へ残るも、結局は落選。ここに至って恭平は、止む無く求人活動のための執筆活動を断念した。

 実はこの210枚の応募原稿に、恭平は早計にも「受賞の言葉」を添付して投稿した。

 落選の要因は、この軽挙妄動にあったと強弁する恭平は、友人たちに呆れられた。

 親しい友人で博報堂のコピーライター土肥典昭が、この顛末を「受賞のことば」のタイトルで次のような文章を認め、先んじて書籍に掲載されたことに恭平は地団太踏んだ。

「受賞の言葉」:土肥典昭

「僕がね、なぜ小説を書くのか、あんた、わからんだろう。僕はね、経営のために小説を書いとるんよ。パートの女性を確保するには、僕が文学賞とることが一番の早道だと・・・」

「『あそこの社長さん、○○文学の新人賞をとった人でしょ、素敵だわ、私も働いてみようかしら・・・』と、こうなるでしょう、女性の心理としては、どうしても」

(中略)

「そう言えば、彼の書いた小説の中に、エンゼルスの弁当についての描写があるのだが、妙にこの部分だけ微に入り細に入り、おかずの内容がこと細かにうまそうに書いてある」

「実は彼の経営する会社の弁当はエンゼルスに納入されているのだ。万が一に彼の小説が賞でもとれば、読者はエンゼルスの広告を読む。まったくもって、堂々たる不純文学である」

 恭平は、自身の処女作を読み返しては、落選した今も「面白い!」と思っている。

 だのに落選続きなのは、純文学でも大衆文学でも中間小説でもない、不純文学の受け皿が無いからだと諦め切れないでいる。

 人手不足と同様に、恭平を悩ませているのが肥満だった。

高校から始めたサッカーは浪人時代も続け、大学に入ってからは同好会で麻雀の合間にプレーし、広告代理店ではライバルの博報堂のチームに入って、土肥典昭と一緒にボールを蹴っていた恭平だったが、30歳で帰郷してからは運動を一切していなかった。

 その運動不足のせいか、開発商品の試食のせいか、資金繰りと人材不足のストレスのせいか、齢を重ねる毎にウエストは肥大していった。

 不惑の歳を迎え、厳しいご時勢と困難な経営を乗り切るには、軽やかなフットワークが肝要と、恭平はサッカーの現役復帰を思い立った。

 思い立ったら即実行するのが身上の恭平は、加入資格が40歳以上のチーム「広島四十雀」に入会した。

 そして、再起第1戦の日曜日、平常通り早朝4時から出勤し、昼までの仕事を終えた恭平は、試合会場へ車を走らせ、真新しいユニフォームに身を包み、新品のスパイクを履いて、軽いウォーミングアップを済ませ、10年振りのピッチに立った。

 ボールを追うこと20分。突如、左足首を蹴り上げられたような激痛が走り、「わりゃあ!」大声で叫び、恭平は倒れ込んでしまった。

 ホイッスルが鳴り、味方はもちろん、審判や敵までもが駆け寄り、「バチッって音がした」「間違いなくアキレス腱が切れる音だ」と口々に言い囃す。

「誰かが、後ろから蹴ったんだ」恭平が反論すると、「蹴るって、誰も傍には居なかったぞ」周囲の皆が笑いながら否定する。

 そう言われればその通りで、ボールを持ってドリブルする相手を追っていた恭平が、後ろから蹴られる道理はなかった。

 翌朝、整形外科での診断は「アキレス腱断裂」。縫合手術と1か月の入院を宣告された。

 軽やかなフットワークを求めて再始動したサッカーで、フットワークが使えなくなくなるなんて皮肉の極みだけれど、人間万事塞翁が馬。

 転んでもただでは起きぬ覚悟を決めた恭平は、常務に毎日の売上報告を命じ、妻の淳子にはエンゼルスの店頭に並ぶ商品を日替わりで届けるよう依頼した。

1週間は何事もなく推移した数字や商品が、10日を過ぎた辺りから微妙な変化が生じてきた。売り上げの伸びが停滞し、商品の盛付が雑に感じられるようになってきた。

 3週目に入った或る日、ギプスで固めた足に松葉杖を突きながら、恭平は病院からタクシーに乗って会社に向かった。

 タクシーを降りた恭平は、2階に上がるスチール製の階段下に10数本の煙草の吸い殻を見つけ、深い溜息を吐いて松葉杖にもたれたまま、呆然と立ち尽くしていた。

「俺が居たら、絶対にこんな無様な失態は見せないだろう。そもそも俺が居たら、誰もこんな所で煙草なんて吸わないだろう」

「この会社は、俺がたった3週間留守にしただけで、こんなに変わってしまうのか」

「アキレス腱を切りたくて、サッカーを始めた訳じゃない。良かれと思ってしたことも、どう転ぶのか分からないのが世の常だ。もし、俺が死んだら、この会社は一体どうなってしまうんだ・・・」

 恭平は、「自分が死んだら、ひろしま食品は倒産する!」との恐怖感に怯えた。

 広島への進出前にエンゼルスからの誘いを断った五島食品も安芸弁当も、その後のエンゼルスの出店状況を目の当たりにし、君子豹変して取引を願い出て、断られたと聞く。

 今なら、ひろしま食品の後を引き受ける会社は間違いなくある。

 エンゼルスが声をかければ大手食品メーカーだって、きっと触手を伸ばすに違いない。

 でも、タコ足配線みたいにレイアウト変更を重ね、生産性の悪い借り物工場のひろしま食品を、何処の会社も引き継いではくれないだろう。

 既に売り上げの目途も立ち、将来への展望も予測できるエンゼルスと取引を始められるなら、新しい自社工場を建設するだろう。

 そうなると常務をはじめとする従業員は、路頭に迷うことになる。

 自信過剰な自惚れが故の憂慮であることを承知しながらも、恭平は途方に暮れていた。

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