天牛(紙切り虫)

私が関心のある、気に入った、「新聞」・「メルマガ」等のニュースをまとめて紹介します。「コメント」は歓迎ですが、「公開」の前に、判断をさせていただきます。

2019年08月

中国ビジネスラボ

2019/08/30

 

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この30年、中国の経済成長は歴史的な高水準にあった。鄧小平の発展是硬道理というスローガンは正しかった。本当に、明日は今日より豊かな時代だったのである。商売のタネは、いくらでもあったが、そのチャンスをつかむため、中国人の日常には、常在戦場の緊張感があった。そのため、中国人=手ごわいタフニゴシエータという印象は強かった。その後、高度成長から安定成長へと移る中で、デジタルイノベーション(2014年~)を経験し、生活は飛躍的に便利となった。そのせいか、今は多少疲れを癒し、小休止しているようにも見える。今後の中国社会はどうなっていくのだろうか。
   

ジェネレーションギャップの拡大
中国では目に見えて世代間ギャップが拡大した。80后(1980年代生まれ)が、理解に苦しむ新しい世代、いわば新人類を表す最初の言葉だった。その後90后、95后、00后と次々に登場してきた。目まぐるしい変化を反映し、5年刻みに早まっている。最も太い境界線は、80后とそれ以前ではなく、80后と90后の間にある。

貧しさを知らずに育った90后以降は、まるで違っている。20181月の「美食報告」というレポートに、外食なら正統中国料理を選ぶ、という人の年代別比率が載っている。それによれば、70后 92%、80后 68% 90后 19%と90后から急降下している。90后が最も好むのは、ケーキ屋など甘味店、25%であった。

80后以前の持っていた、上昇へ向けた意欲むき出しの生き方を、90后以降の世代は、カッコ悪い、と感じるようだ。この感覚自体が新しい。前世代は第三者の目など気にせず、常にガムシャラだった。正統中国料理店で、乾杯を繰り返し、相手を持ち上げ倒しての人脈作りは、その典型的情景だった。90后以降は、それらを忌避しているのである。

ITイノベーションで生活激変

2014年以降、中国では、革命的なITイノベーションが起こる。スマホの普及、モバイル決済とシェアエコノミー、フードデリバリー、ニューリテールなどである。中国人の生活は劇的に変わった。

フードデリバリーは、外食産業の10%以上を占めるまで成長した。ニューリテールは、アリババのジャック・マー会長の提出した概念で、オンラインとオフラインの融合を目指している。同社の展開する新型スーパー「盒馬生鮮」はその典型で、アプリで注文し、指定区域内なら30分で配達される。さらに店舗を持たない「毎日優鮮」なども勢力を拡大、ウォルマートなど従来スーパーも追随している。利用者は90后以降が中心である。彼らはスマホをタップするだけで、何もかも自宅にとどく、まったく新しい時代に生きているのである。

インフルエンサーとしての日本

「佛系」という言葉が流行した。2018年には国家語言資源監測研究センターの“10大ネット用語に選ばれた。2014年の日本の雑誌ノンノに掲載された「仏男子を攻略せよ」に由来している。201712月以降、ネット界を席巻、文化現象となった。佛系青年、佛系職員、佛系恋人、佛系生活など、さまざまに使われた。少し解説を見てみよう。

佛系青年内心の平和を追求し、淡々として、特に達成すべき目的を持たない。
佛系職員仕事への熱情はない。前途に目指すべき道はなく、帰途に振り返る道もない。
佛系恋人互いに強く求め合うことはなく、分かれるときも、いつものバイバイ、と変わらない。
佛系生活奪わず、争わずの平和な個人生活。

激しい自己主張の飛び交う、これまでの中国とは真逆である。ACGAnimation,Comic,Game)と同じく、日本の文化的影響と理解してよいだろう。それ以前には、宅男、御宅族(オタク)という言葉も入っている。外国語表示はhikikomoriである。こうして日中の若者世代は、文化的ギャップが縮小し、互いに理解しやすいフラットな関係に向かっている。

日本文化の力が、何かと騒々しい中国社会を、落ち着かせたとすれば、大変意義深いことかも知れない。中国社会は成熟化へ向かい、日本はそのサポートをつとめているようだ。

 

中国ビジネスラボ

2019/08/30


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1990
年代までは、大手商社でさえ中国勤務は嫌われた。最も危険な赴任地にランクされ、危険手当を支給していた。治安の悪い発展途上国扱いだった。それが面目を一新し、2010年ごろの北京、上海では、ほとんど生活上の不自由はなくなっていた。そして2014年から始まった革命的イノベーションにより、キャッシュレス社会が達成され、シェアエコノミーが浸透し、今では日本よりも便利になっている。

一方で、旧い中国、日本本社に説明不能な特殊事情もいろいろと残り、ときに、唖然とさせられる経験も味わう。中国駐在員には、それらを面白い、と笑い飛ばす精神的余裕が必要だった。近未来はどうだろう。駐在員の目で、日本人の中国生活を振り返り、今後の展望も考えてみよう。


·       1990年代の構造改革

1990年ごろ、商社マンに人気の高かった赴任地は香港だった。日系百貨店、量販店が多く、英語も通じ、住みやすかった。中国貿易を推進するにも、香港企業がハンドリグしてくれた方が安心だった。中国との直接取引は、リスキーで、汚れ仕事のような感覚だったのである。やがて90年代半ばから、対日ビジネスの中心は上海とその周辺へ移る。北京と違い、ここには幅広い近代工業の集積があった。それらを直接投資、または間接の技術指導によって、輸出産業へと育てる。それが90年代、日本側のメインテーマだった。

中国側の目標はWTOへの加盟だった。そのため、国有企業改革、外資の内地企業待遇、市場開放などに、当時の首相・朱鎔基が剛腕をふるった。大前健一氏は彼のことを“100年に一人の政治家”と評している。それほどの難事業であった。そしてWTO加盟が実現したのは200112月である。効果はてきめんに現れ、ここから経済成長は加速した。中国の名目GDP2001年の13441億ドルから、2018年の134074億ドルへ、10倍増を達成したのである。

日本人社会、2000年代の最盛期

2000年代は、上海の日本人社会も最盛期を迎えた。駐在員と家族、長期滞在者の合計は、6万人とも8万人とも言われた。日本人学校は、浦西と浦東の2ヶ所に開校した。日系企業のリスクマネージメントを担うWellBeと契約しておけば、急病でも日本語のケアが受けられ安心だった。日本料理店は、みな日本各地の名物料理など特色を打ち出していた。そうしなければ生き残れないほど増殖していた。日系大手コンビニ3社もすべて進出した。

2010年ころの休日には、ユニクロや無印良品で買い物をし、吉野家やCoCo一番屋で食事して帰るなど、ほぼ日本と変わらない暮らしぶりとなっていた。しかし、このころを最盛期として、上海の日本人数は減少に転じたと見られる。

取り残される日本、という幻影

今の上海駐在者たちは、何を思っているのだろうか。中国のデジタル化の急進展には、唖然とすることが多い。地下鉄駅から目的地まで10分以上歩くののがいやなら、シェアサイクルを利用すればよい。タクシーが少なければ、配車アプリを使う。カタコトの中国語さえわかれば十分使える。そして小口の支払いは、ほぼすべてモバイル決済だ。実体店舗ではQRコード決済から、虹彩認証、顔認証決済が広まってきた。OMOOnline Merges Offline)の進展も急速だ。料理から生鮮、コーヒーまで宅配できないものはない。

今年4月、日本では2024年に新紙幣を発行する、と報じられた。それはいいのだが、続いて、株式市場で金銭計数関係の銘柄が上昇した、と伝えられた。それを聞いて、日本は、本当にまずい、と感じた中国駐在員は多かったろう。取り残される、という幻影がはっきり見えたからである。日本は彼らの声に、真剣に耳を傾けなければならない。彼らは不安をあおる存在ではない。アイデアを出せる貴重な人材である。

日本経済新聞 電子版

2019/8/30


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ニチイ学館総合センター(千葉県柏市)では家庭料理の調理実習などの研修をしている

 

家事代行に従事する外国人の来日が進まない。国家戦略特区制度を活用して、永住権を持たない外国人による家事代行サービスがスタートしてから2年半。家事代行サービス大手は2021年度までに合計3千人強を受け入れる計画だったが、在留期間の短さなどが障害になり、現在来日している人数は約950人にとどまっている。

「せっかく日本に慣れてきたし、笑顔で接してくれるお客様も多いので、もっと働いていたい」。家事代行のベアーズ(東京・中央)で働くフィリピン人家政婦のマリアン・クラニバンさんは話す。176月に来日したが、3年の在留期間の終わりが見えてきた。

政府は15年末に国家戦略特区を活用して、外国人による家事代行サービスを解禁した。東京都や大阪府、愛知県などが特区に名乗りを上げ、パソナなど6社が17年春にサービスを始めた。各社は18年春時点で計3千人強を21年度までに受け入れる計画だったが、日本経済新聞の聞き取り調査によると197月時点の来日人数は約950人にとどまっていることがわかった。

受け入れが進まない最大の理由は、在留期間の短さだ。来日後は一定期間の研修を経てから現場に出るため、実働期間はより短い。約80人を受け入れているピナイ・インターナショナル(東京・品川)の担当者は「日本に慣れてもらうのに1年近くかかるのに、3年で帰国してしまうのはあまりに費用対効果が悪い」と話す。

スタッフへの研修体制や来日後の住まいの整備などで、受け入れ事業者にかかるコストと手間は小さくない。「受け入れ準備の手間やフォローは想定以上に大変だ」。パソナの担当者はこう漏らす。当初は20年春までに1千人の外国人材を受け入れる計画だったが、現状は50人強にとどまる。

受け入れ側の問題だけでなく、働き手からも日本が選ばれていない状況もある。カジタク(東京・中央)の担当者は「アジアの他の地域に人材が流れている面がある」と話す。日本で家事代行に就労する人材のほとんどはフィリピン人だが、在留資格の取りやすさや生活環境、給与水準などを考慮して、中国や英語で就労できる香港やシンガポールなどが出稼ぎ先として人気を集める。

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家事代行は共働き世帯の増加で需要が高まっている。東京都は国に在留期間を3年から5年に延ばすよう提言。業界団体は新しい在留資格「特定技能」の対象業種への家事代行の追加を国に働きかけている。特定技能の対象になれば、在留期間が5年に延び、フィリピン以外の国からも受け入れやすくなるなどのメリットがある。

国家戦略特区を担当する内閣府の地方創生推進事務局は「在留期間の延長の要望が出ていることは承知している。法務省や経済産業省、厚生労働省と検討を進める必要がある」とする。ただ、在留期間を延ばす具体的な動きはまだない。


ニチイ学館は介護と人材の融通にらむ

家事代行を担う外国人材が集まらないなか、独自の戦略で受け入れ人数を増やしているのがニチイ学館だ。600人強と全体の3分の21社で引き受けている。やはり人手不足感の強い介護サービス分野と人材を融通し合うことをにらんで、先行投資をしている。

ある平日の昼間。千葉県柏市の「ニチイ学館総合センター」では、7人のフィリピン人が手際よく料理をしていた。牛肉のしぐれ煮となめこの赤だし、キャベツとカニかまぼこの煮浸し、枝豆ごはんを1時間弱で作りあげた。外国人家事代行スタッフの上級者向けの研修で、こうした1日がかりのプログラムを21回行う。

ニチイは182月にフィリピン人スタッフの受け入れを始めた。柳沢友啓執行役員は「現在は需要以上にスタッフがいる面もあり、現場に出ずに待機している人もいる」と明かす。家事代行は「事業単体で見れば赤字」だが、それでも手厚い受け入れ体制を整える背景には介護事業の人手不足がある。

ニチイはもともと日本人による家事代行サービスを提供しているが、スタッフの多くが介護関連の資格を持つ。資格保有者を介護事業に優先的に回すため、フィリピン人スタッフの家事代行を定着させたいという思惑がある。

外国人材の受け入れは介護分野でも進む。ニチイなど大手は現状では国内で人材を募集できているが、「10年後には外国人に頼らざるを得ない」(介護大手トップ)。家事代行を通して外国人材を受け入れる体制づくりなどのノウハウを蓄積する狙いだ。

(高尾泰朗、藤井太郎)

 

061013 「歴史華やぐ女たち」-圓石本店
*図・表は、クリックで拡大

(作品紹介)
歴史や人物を経営の視点から考察し、テレビや講演会でも人気の経済評論家・泉和幸さんが、大阪北新地新聞に連載していた記事「あのねのネ」を一冊にまとめて出版。西施、王昭君、則天武后、万貴妃など中国の歴史を彩る女性たち51人の物語は、現世でくりひろげられているドラマとどこか二重写しとなっているのではと好評。

約3000軒もの飲食店が軒を連ねる夜の街「北新地」。かつては財界人の情報交換の場として栄えていたが、バブルがはじけ新地の街も様変わりした。経済不況のなか、健全で安全な夜の街・北新地の再興を願う河口さん(石鍋料理圓石本店店主)が北新地社交料飲協会理事長に就任したのを祝して、経済評論家の泉さんが、北新地新聞に、中国の歴史で活躍した女性たちの記事「あのねのネ」を書き始めた。

河口さんは泉さん主催の、中国の歴史を現代の経営とマッチングさせおもしろく古典を学ぶ「中国古典塾」のメンバー。新しい時代に似つかわしい北新地の再興に意欲を燃やす河口さんに、泉さんが「がんばりや〜」の意味をこめて連載を続け4年半、50回を数えたのを記念して出版の運びとなった。

北新地新聞に連載当時より「毎月パッチワーク物語を楽しませて貰っている」の声を聞いていたが、中国美女列伝を読んだ人からは「現代社会にも通じるものが垣間見られた」との感想が多く寄せられている。

奇妙なことに、ここに登場する女性たちや、そこに蠢く男性たちの生態には、平成の世に散見する営みや葛藤がそっくり投影されているということです。哀歓こもごも人間模様にそこはかとない共感を覚えて頂ければ、筆者の最高の喜びとするところです。中国史を彩る女性たちの華やぎを、どうぞグラス片手にお愉しみ下さい」と泉さんは話している。

プロフィール・泉和幸(いずみかずゆき)
昭和5年、東京生まれ。昭和28年、広島大学哲学科を卒業、産経新聞大阪本社に入社。大阪新聞部、東京本社販売局企画開発部を経て、大阪新聞社編集企画担当部長に就任、昭和54年退社。昭和56年泉事務所を設立、経済評論家として活動を開始。昭和57年から異業種交流会「21の会」を発足させ、「中国古典塾」も併設。平成10年より後継者育成塾「ユース21」「一木会」を発足。NHK神戸文化サロン常任講師「おもしろ経済学」。西宮市在住。

日経BizGate(野村総合研究所 亀井卓也)

2019/8/26

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 「5G(ファイブジー、第5世代移動通信システム)」と呼ばれる新世代の移動通信サービスがいよいよ日本で開始されます。5Gは、スマートフォンがより速くなるなど、さらに高速な通信であるのは確かですが、それは、5Gがもたらす革新の一部に過ぎません。そこで、ここでは3回にわたり、5Gについて、技術や通信ビジネスにくわしくない人にもわかりやすく、その特徴を解説します。

移動電話から「プラットフォーム」へ

 「5G」とは、「5th Generation」つまり「第5世代移動通信システム」のことです。5Gに至るまでに、1G(ワンジー)、2G(ツージー)、3G(スリージー)を経て、現在われわれは主に「4G(フォージー)」の移動通信システムを利用しています。4G、あるいはその通信規格としての「LTE(エルティーイー)」という言葉を耳にしたことがあるかと思います。

 まずは、これまでどのように進化してきたのか、簡単に振り返ってみたいと思います。

 1979年、当時の日本電信電話公社が、自動車電話を商用化しました。1980年代には、持ち運びのできる、いわゆる「携帯電話」のサービスが始まりました。このときの移動通信システムが「1G」です。これはラジオのように、音声を電波に乗る信号に変換して伝送する「アナログ方式」でした。

 以降、移動通信システムは、10年ごとに革新されています。

 アナログ方式は伝送品質や伝送距離の面で課題があり、データを01でできたデジタルデータに変換して電波に乗せる「デジタル方式」の技術開発が進みました。1990年代は、このデジタル方式による移動通信システム「2G」の時代でした。

 デジタル方式による移動通信システムにより、データ通信が容易にできるようになったことで、携帯電話は通話(音声)だけでなく、メールをはじめとしたデータ通信サービスを利用するための端末となりました。

 1999年には、携帯電話の歴史における革命ともいえる、NTTドコモの「iモード(アイモード)」がリリースされました。同年にDDI-セルラー(現KDDI/沖縄セルラー電話、以下では「KDDI」と記す)は「EZweb(イージーウェブ)」を開始し、翌年にはJ-PHONEが「写メール」サービスの提供を始めました。この時代に、携帯電話は人と人とがいつでもどこでもコミュニケーションできるという「移動電話」としての存在から、いつでもどこでもサービスが利用できる「プラットフォーム」へと進化したのです。

スマートフォンの登場

190826 5Gの歴史

                                                  図1 5世代への進化

 

 iモードやEZwebが開始されたのはまだ2Gの時代でした。そして2001年に「3G」が開始されます。3Gは初めて国際標準として定められた移動通信システムになります。これにより、日本の携帯電話端末を海外でも使えるようになりました。

 2001年に国内で開始されたNTTドコモの「FOMA(フォーマ)」は、3Gの商用サービスとしては「世界初」の快挙でした。2Gから3Gに進化するにあたって通信が高速大容量化し、iモードやEZwebといったプラットフォーム上のサービスが、一気に普及していきます。

 とはいえ、携帯電話端末の主流はいまだ「フィーチャーフォン」でした。そのような中で、2008年にソフトバンクから「iPhone 3G」が提供されます。これは国内でリリースされた初めてのiPhoneであり、スマートフォンの爆発的普及とともに、ソフトバンク躍進のきっかけとなりました。

 iPhoneは、いまなお国内において圧倒的な存在感があることからも、iPhone 3Gの国内リリースは歴史的に重要な意義を持つでしょう。

 3Gの普及後も、通信の高速化に向けた研究開発は継続的に進められ、「3.5G」「3.9G」などと称されていました。なお、先述の「LTE」は、厳密にはこの3.9Gにあたります。

 2012年には標準化団体で次世代通信方式がまとめられ、「4G」としてサービスが展開され始めます。iPhoneを含めたスマートフォン上でのサービスは、4G環境でますます普及し、その事業機会を獲得すべく次々と新たなサービスが生まれてきました。特に4Gならではの変化という意味では、動画配信サービスやモバイルゲームのような、大容量コンテンツの普及が挙げられるでしょう。

 利用者の拡大と新サービスの創出が好循環を生み、スマートフォン上のサービスはいまや巨大な市場をつくり出しています。

5Gが本格的な商用化へ

 このように、移動通信システムは、キラーサービスとともに進化してきました。「1G」は音声通話、「2G」はメールやウェブ、「3G」はプラットフォームとサービス、「4G」は大容量コンテンツ、といったように。

 移動通信システムが進化すると、革新的なサービスが生まれます。そのサービスが移動通信システムへのより高い要求をし、それに応えるべく移動通信システムがさらに進化する、ということを繰り返しながら、成長を遂げてきたのです。

 通信量もそれを証明しています。総務省「我が国の移動通信トラヒックの現状」によると、国内における移動通信の総量は今もなお指数関数的に伸びています。移動通信システムの革新が求められている中で、いよいよ「5G」がやってくるということになります。

---亀井 卓也 著 『5Gビジネス(日経文庫)』(日本経済新聞出版社、2019年)、「第1 5Gが話題になる理由」から---

 

亀井 卓也(かめい・たくや)
野村総合研究所 ICTメディア・サービス産業コンサルティング部 テレコム・メディアグループマネージャー。東京大学大学院工学系研究科卒業後、2005年野村総合研究所入社。現在は情報通信業界における経営管理、事業戦略・技術戦略の立案、および中央官庁の制度設計支援に従事。

 

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